年相応なことをしよう

年相応なことをすることの大事さに気がついた。大学生ならば、勉学に励むもよし、サークルに勤しむもよし、恋人にのめり込むもよしである。膨大な時間があるからこそできることをする、とかではない。年相応なことをするのである。

 

小学生の頃、よく母から「もっと子供っぽい本を読みなさい」と言われた。僕はませていたので、親の新書や文庫本を読んでいた。一般的には「こんなに難しいの読めるのね〜」なんて褒められるはずである。だけど母は僕にそんなものを読むなといった。

 

当時の僕は、「こっちの本に書いてあることの方が面白いもん」とおもっていた。新書は知識欲を満たしてくれたし、池井戸潤はスリリングで痛快だった。

 

けれども母は、小学生向けに書かれた本を読んで欲しかったのだ。今なら、母の言ったことに共感できる。

 

得てして、小学生向けの本というのは訓話の要素を含んでいる。素直で何でも吸収する子供の時代に、そういう話を読むことは意味あることだと思う。僕はハリーポッターは読んでいたわけだし、面白いと思う小学生向けの本もあったのだから、それらを読めばよかったのだ。

 

今、僕は大学生である。今、例えば不思議な国のアリスを、「アリスはどうなってしまうんだろう?」とドキドキしながら読むことはできないと思う。どうせ比喩や隠喩に着目して、時代背景とかそんなものに気を取られるのである。一歩引いて読んでしまうだろう。

 

年相応な本を読むことは大事だし、広げていうならば年相応なことをするのは大事である。今しかできないことがあるのだ。